マキシム・ガイヤールが、パリ ロワイヤル通り3番地にあったアイスクリーム店を買収。5月21日には2万ドルの装飾費をかけて、彼の名前を冠した店をオープンさせました。
伝説のレストラン「Maxim’s(マキシム)」の誕生です。
しかし、お客様というものは、すぐに飛び込んでくるものではありません。商売はうまくいかず、翌年には借金が4万ドル近くたまってしまいました。もしあの奇跡的な出来事が起こっていなかったなら、彼の店は破産の道へまっしぐらに進むこととなったでしょう。
奇跡は、当時プレイボーイとして知られていたアーノルド・ド・コンタード(*1)とともに現れたのです。ある夕方、コンタードは、一杯のビールを飲むために、美しい女友達イルマ・ド・モンティーニィ(*1)と連れだって、マキシムに入りました。そして、この店がいたく気に入ったらしく、コンタードは友達を連れてくると約束しました。そしてその約束は守られました。コンタードは、知り合いたちを連れてき、数週間もたたぬうちに、マキシムは賑わいを見せ始めます。野心に燃えたガイヤールは見事成功しました。しかし、この店の成功を祝う間もなく、1895年、彼はこの世を去りました。店を忠実な支配人コルニュシュに残して。
そして、「マキシム(ガイヤール)は死んだが、マキシム(レストラン)は残った」と当時言われたように、ガイヤール亡き後は、支配人コルニュシュの優れた経営で発展し続け、ヨーロッパはもとより世界中に知られるようになっていくのです。
マキシムは信じられないほどの人気を博し続けます。フランスの名士はもちろんのこと、アメリカからも大富豪や芸術、実業、スポーツ、各界一流の人たちがマキシムへ集まるようになりました。
マキシムを訪れた客の中には、モンテスキュー伯、ミュラ殿下、砂糖成金のマックス・ルボデイ、小説家のマルセル・プルースト、また、とめどもなく金を使ったロシアの王侯貴族、そして英国王エドワード7世(*2)、スウェーデン国王オスカー、ギリシャ国王ジョージ、スペイン国王アルフォンス13世など多彩な顔ぶれがいました。王様達はパリに来るたびにお忍びでマキシムに足を伸ばすのでした。
1966年、そのとき日本には本格的フランス料理店はまだ1軒もありませんでした。
それが、ある日突然、銀座の数寄屋橋交差点に、隆盛を極めた伝説のレストラン「マキシム」が現れたのです。
『ニューズウィーク』に、「ペリーが日本を開国して西洋文明を紹介して以来の大事件」と書かれた 銀座「マキシム・ド・パリ」のオープン。
アールヌーヴォーの豪華絢爛な内装に始まり、料理、サービス、雰囲気すべてがパリそのままに、そこにありました。
「東京に『パリ マキシム』のすべてを再現し、大人の社交場をつくる」− それは、ソニー(株)ファウンダー 盛田昭夫氏(当時 同社代表取締役副社長)のアイディアでした。